Back Number 30
ジャカランダ栄子さま
東京は先週末から徹底的に暑くなりました。ベタ〜ッとした蒸し風呂の中のような暑さです。お帰りになるのは、やはり秋がいいと思います。それまで涼しかった分、暑さがこたえます。
私は、銀座東に住んでいましたが、両国の花火が、三吉橋といって昭和通りからそう遠くないところにある橋からも見えました。欄干によりかかって見たのを覚えています。花火はほんとに郷愁をさそいますね。
ところで栄子さん、そちらではもうシニア料金で映画を見られるんですね。こちらにもありますよ。60歳からロードショウを1000円(通常は1800円)で見られます。私の友人も、60歳になって初めて切符を買うときに、おそるおそる「シニア1枚」と言ってみたら、なにも言わずにシニア券をくれたそうで、やはり傷ついていました。その人は、「まりちゃん、あなただって平気よ。やってみたら?」というのですが、まだ試したことはありません。証明書は?って言われないのが恐ろしくて。でも、銀座の映画館は、水曜日がレディース・デイといって女性は1000円です。(これって性差別ではないのかしらね、男も1000円で見たい!といっていた人がいましたが)金曜日がサービスデイのところもあるのですが、その日はシニア一歩手前のおばさんたちが大挙して押し掛けるので、見たい映画はどこもいっぱいになります。
「フリーダ」も、こちらで先週あたりから上映されています。そんなに素敵でしたか。私も見てみよう。でも、上映館が、くだんの一歩手前おばさんたちに人気のある映画館なので、きっと混んでいるだろうなぁ。渋谷の東急文化村というところでは、彼女の展覧会もやっています。ここはBunkamura と呼ばれ、知的おばさんのメッカとなっています。いま、日本のカルチャーシーンを支えているのは、おばさんパワーといっても過言ではありません。カリフォルニアではいかがでしょうか。
ジャカランダの花が散り、青々とした葉っぱが繁って陰をつくっている...なんかいいなぁ。またカリフォルニアの風を送って下さいね。
先週の金曜日と月曜日の町内の盆踊りの前準備と後片付けは、責任を果たし肝心の盆踊りは
班長は踊るのみなので、パス。
土曜日はいつになく早く眼が覚めたので、突然に、以前より、行きたかった清春白樺美術館に
行ってきました。
中央線小淵沢よりひとつ手前の駅、長坂で下車、車で5分、徒歩25分です。
私はのんびり、寄り道をしながら歩いたので、倍の時間かかりました。
その辺りは蝶のオオムラサキの里でもあります。
美術館へ行く途中、下の方から川のせせらぎの音、木々のどこからともなく聞こえる
鶯の鳴き声の合唱、名も知らぬ山野草、まことにのどかな風景でした。
美術館は、企画展の他、常設店のルオー、セザンヌ、中川一政、梅原龍三郎、「智恵子抄」の
高村智恵子の絵がありました。
残念なことに、蕎麦屋で有名な 「 翁 」 があったのをすっかり忘れて、宿に帰ってきて
気がつきました。
翌日起きると、宿の外に甲斐駒ケ岳の雄姿、鳳凰三山がくっきり見えて、感動しました。
翌日は、車窓から、八ヶ岳が見たくて、小淵沢より佐久平まで、小海線に乗りました。
朝のうち、切り立った赤岳が、恐ろしい程、赤く、くっきり見えました。
清里で下車、若い頃の様に、全てをみようとしないで、清泉寮と、北澤美術館に絞りました。
清里を開拓した、KEEP財団のポール・ラッシュ記念館は、清泉寮の裏の林の奥に
ひっそりと建っていました。
資料館と、かつてすんでいた住いのあいだの渡り廊下に、きれいな花々があり、
オオムラサキがとんでいました。
勿論、放し飼いです。そして入場料500円、おいしいコーヒー飲み放題。
コーヒーがとてもおいしかった。そんなのんびり、ゆっくりの旅でした。
行く時に高尾を通ったので、はじめに、ほわほわさまに、このメールを書きました。
2度だしましたが、MAILER-DAEMONで戻ってきてしまいました。
ズートルビーのえみこさま、やはり書いてしまいました。
ご無沙汰しました。この間は時間がなかったので失礼しました。日本語は面倒で時間がかかるのでなかなかゆっくり書けない。わたしはコンピュータをしらないのでぜんぜんつかいこなせてない。しらないことばかり。主人にきくとばかにされるので、いつか他のひとに授業料をはらっておしえてもらおうかとおもっています。
この間書いた内容は、、、 私は神田川の左え門橋の袂で生まれ育ち両国の花火を橋の上から又屋根に上って毎年見たものです。叔父が橋のすぐそばで日本蕎麦やをしていてその二階の窓から枝豆を食べながら見たときの夜を不思議とよく覚えています。7月の終わりになると郷愁に駆られ浅草の花火が見たくなります。でもあのべた暑さが耐えられず帰らなかったのに今年は日本は冷夏だったそうで花火を見に帰ればよかったと、、本当に残念でした。しばらく日本のニュースをみてなかったのです。皆さんからあちこちの花火大会の話をきいてますます郷愁にかられました。
そして話が飛びますが ケビン コスナーは私の義弟がカリフォルニア州立フラトン大学の会計のクラスで一緒でした。ケビンもビジネス専攻でした。もちろん私はあったことはありません。彼の持ってるパサデナにあるレストラン ”twin palm” に行ったくらいです。
私の好きな俳優は ケビン クライン です。彼の メグ ライアン と一緒にでた、“French Kiss” そして、ジエイミーリー カーテス との ”Fish called Wanda” は最高に面白い。なくなったJack Lemon の様な いい役者だとおもいます。 House as a life は真剣な話でしたね。
最近見た映画 は Legally Blond II (コメデイ) と Seabisket (有名な競走馬の話)、FRIDA (メキシコの女画家の自伝)皆よかった。 フリーダは特にヒロインの演技(アカデミー主演女優候補)、色彩と音楽が最高でした。女性の監督作。CDを買って聞いています。DVD お勧めします。メキシコの音楽です。
好きな音楽のジャンルが広がってこまる。お酒もダンスもしないのでこのぐらいの道楽はいいでしょう。Jazz は今 KARRIN ALLYSON の“IN BLUE” というブルースのCD がいい。ジャズと映画好きの兄といつもE-mail 情報交換をしてます。
この頃一部のレストランと映画館でシニアの料金でOK になり、嬉しいやら寂しいやら。週末の値段で封切りの映画が$7でした。でも証明書を問われなかったのは悔しい。ところで日本はシニア割引ありますか?
クール子さんとこの間お好み焼きをたべにいきました。他の女友達と4人でただおしゃべり。私も彼女もお酒は全く飲めないのでただ居座るので、お店にとっては儲からない客なのです。なんだか家から解放されて日本語でおしゃべりすると、私はお里帰りしたきになれるのです。アメリカ人になっても、中身は日本人です。なんと私のボスは日系3世なのに日本人という意識が年とともにつよくなっているときいてびっくりしました。彼は白人と離婚し日系人2世と再婚し、今いかにお互い心の内に根づいた日本の生活習慣と思想に共感できて幸せであるかしれないというのです。日本語も話せないのに。日系とは言わず何国人でも何世代になっても、母国を誇りにおもうきもちはあるのですね。違いを乗り越えお互いを尊重していつまでも平和なアメリカでいてほしいです。911で一体になったアメリカ移民達.でも故国への郷愁は絶えないのです。ちょっとおおげさかな??西海岸の日系人が第二次世界大戦で収容所に入れられたことはご存知ですか? 政府から貴方は日本とアメリカとどちらを大切におもうのかと詰問されたとき、母と父と同じようにどちらも大切だと答えた例があります。
皆さん沖縄の話で持ちきりですが、ゴーヤはまだ食べたことがない。米国日系移民の中で一番多いのが沖縄県人です。長年お客様だった、島袋さん夫婦は商売(ゲーム、センター)をいとなみ 引退し、1人前になった息子さんを残し、沖縄の年老いた母上の面倒をみに帰国しました。めでたい話です。幸せそうな奥さんのお別れの電話が印象的でした。知り合いが帰ってしまうと寂しい。
シソの鉢を買いました。シソジュース、あまり色がでない。砂糖はいれず、のんでます。他にびわの葉を煮てお茶がわりにのんでます。 癌の予防になるそうです。カフェインがなくいい香りですきです。先週はおはぎを作ったり、又キムチもたくさんつくりました。朝は納豆とやはり日本のものが一番です。
ジャカランダの大木に残る花は数えるほどになり、今はしだのような形の葉がうっそうと茂りみごとな緑をたのしませてくれています。皆さん夏ばてせずお元気で。
メンテナンス完了しました。今夜の深夜バスで行こうとしたら満員で席がとれず、明日一番で列車で名古屋、奈良、大阪へ出張です。 名古屋で訪問する会社のあるビルの名前が大名 古屋ビルというのですが、変な名前だなと思ったら、このほかに大名 古屋ホテルというのもあり、名古屋では大名が古屋に泊まる習慣なのかと一人で合点しておりましたが、えらい間違いだったようです。(布施院)
これからHPのメンテナンスに入ります。30分程度使用できなくなります。 昨晩の手賀沼の花火はきれいでした。 いろいろな新作があって、マンションのベランダからの見物だったのですが結構楽しめました。 (布施院)
思い出しました。さくらこさんの、鶴・・とか亀・・の真似で韻をふんでいる文章、
松鶴屋千歳でした。最近すぐに思い出せない事。特に人の名前、特に芸能人の名が
でてきません。危ういです。
それから先に書いた『とうふよう』 これは豆腐窯と書くべきところ、豆腐が腐るで、
豆腐腐と書いてしまいました。失礼致しました。 ますます危うい。
豆腐窯は、ご存知とは、思いますが、パソコンで調べましたら
「中国から琉球王朝時代に伝来した食べ物で豆腐をカットしたものを、紅麹、黄麹そして泡盛に
漬けて、発酵した物。昔は王族しか食すことが、できなかった。」と書いてあります。
ズートルビーのえみこさま。ご主人もあなたも沖縄で、旅行者とは、違うご苦労があったのですね。
毎年順番で交代する、町内会の班長。
明日,明後日と町内の盆踊りです。今日から、提灯の下準備、その他諸々の
お手伝いです。
しばらく、お休みさせて頂きます。
さくらこさん子供さんの病気の話で、笑っては、いけないけれど、某、(鶴・・または、亀・・)漫談家の節でとても、おもしろいです
合唱しましょう。 『アスパラコさ〜ん 』 って、
私もさくらこさんのようにソフトに、楽しく書きたいけれど・・・訓練が、たりない。いや、頭の中身が違うのでしょう。
ズートルビーのえみこさま、その通りでございます。
当時の日本交通公社の新婚旅行パック、3日間黒塗りの車、運転手さん付き。
恥を承知で、お話します。私の新婚旅行の思い出は、夫が寡黙の為、
運転手さんの、熱心な説明に相槌を打つことで、とても疲れました。
そして、思い出しました。遠くに伊江島の見える、ハイビスカスが咲き乱れ、海は真青
あとは何も無いハーバービューホテルでした。
どこへ行っても、隣は基地ばかり。今帰仁城跡が、その昔の琉球を、感じさせて
くれました。
沖縄は、友のいうことには、年中蒸し暑く、本土のように、季節の節目がない。
だから、いつも頭がポーとしている。(彼女は、とても知的な人です。)
何時に集合という集まりがあっても、その時間にきている人がいない。
2〜3時間後、集まってくるそうです。 全てがそうだとは、思いませんが・・。
ハワイでは、掃いて捨てるほどある『マンゴー』とってもおいしいです。それから豆腐腐、
お酒のあてにぴったりです。沖縄は美味しい物も沢山あるのです。
さくらこさん、面白いですねーーーー。レトロIsikawaさん、新婚旅行の宿がハーバービュー
ホテルだったのですか?? 私の主人は、海洋博のために建てられたこのホテルの責任者と
して行ったのです。 当時、本土は石油危機で経済がガタガタで、当てにしていた旅行客は
予想を大幅に下回り、散々の海洋博でした。私は慣れない土地で3歳と1歳の子供たちと
悪戦苦闘していました。 布施院様の書かれた、豚のコンビーフみたいな物とは
多分 あれのことだと思いますよ。 匂いが強烈で鼻を摘んでたべていました。
本土復帰の直後だったので円の感覚がよくわからないのか、野菜なんかビックリする値段が
ついてました。 那覇の郊外の豊見城村(とみぐすく)に、住んでいたので近くに大きな店が
なく、薄汚いなんでも屋が一件在るだけでした。 おかげで私は骨皮脉エ門になり
遊びに来た母が変わり果てた私を見て病気になったと思い込んでました。
布施院様が言うように、沖縄の人を使うのは、とても大変だと、主人がいつも、溢して
ました。たったの3年で主人の前部の黒髪が白くなってしまいました。
今だったら、それほどでもないかも知れませんがーーーーーー?
ずーっと住むのはイヤですが冬の間だけならいいかなあーとも思ったりします。
別荘でもあればいいんですけどねーー。
★主人が沖縄出張(しゅっちょう)の時 長男は 脱腸(だっちょう)だった。★
昭和47年に沖縄が返還されて 夫は単身赴任。1歳になったばかりの 長男が脱腸(ヘルニア)になり 世田谷の国立小児病院に入院 手術したことを 思い出しました(*^_^*)。
私も レトロさんとおんなじに アスパラ子ちゃんのアスパラ子節を リクエストしま〜す!! (^_-)-☆
アスパラコさん、高尾山行きの時は、お世話になりました。
初めて?なのに、とても親切にして頂きました。
そして、奥田さんと一緒に、場を盛り上げて、いただきました。
昼食時、アスパラコさんの沖縄からの帰還?の感想、とってもよかった。
同感したわ。
といろいろ話しましたね。
また、その続きのお話や、パソコンのお話、聞かせて下さい。
旅行、そしてパソコン造りに、とっても、お忙しいのかしら??
★楽しに待ってま〜す。★